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ナナシログ

ナナシロのナナシロによるナナシロのためのログ。

僕らが願えばどんな日だってリバースデイさ

こんにちは、ナナシロです。

みなさん、元旦いかがお過ごしですか?

 

僕は今(執筆時)、添い寝屋の出張で長野は松本行きのバスの中にいます。

バスの中が快適なので、思いつきではてなIDを取得し、徒然なるままに記事を執筆し始めました。

 

年が明けて2017年になりました。

猿が去っていき、鳥が飛んできました。

 

『初日の出』…はもう終わりましたが、これからしばらくは『初詣』や『初夢』といった『初』なイベントが続くかと思います。

 

なんとなく清々しい気持ちになりますね。

去年の穢れを全て置いてきたような、身も心も清まったような気持ちなのは、皆さんも同じなのではないでしょうか?

 

ところで、毎年、年末年始になるたびに僕は疑問に思うのですが、カレンダーさえ見なければ何の変哲もない日である1月1日が、なぜこうも清々しく感じられるのでしょうか。

 

別に12月1日に清々しさを感じても良いですし、2月1日でも良いはずです。

いっそのこと、7月14日や10月26日といった日に生まれ変わるような気持ちになっても良いはずです。

 

なのに、なぜ1月1日なのか。

 

それは、僕ら人類が、現在採用している暦の中で、1年というスパンの始めの1日と位置付けられた1月1日を特別な日であるとみなし、それに合わせた特別な行動をわざわざとっているからではないでしょうか。

 

つまり、たまたま1月1日が特別だと決まり、その日に相応しい特別な思考や行動をおこなっているから特別なように感じるだけなのではないか、と僕は思うのです。

 

1月1日の前には大晦日があり、日本の文化ではそれまでに大掃除をおこないます。

大掃除をおこなうことで、等閑となっていたものを捨てたり、無為に続けてきた習慣を止めたりします。

それも全て、1月1日を、あらゆることを刷新し生まれ変わるのに相応しい日『リバースデイ』として機能させるためにおこなう特別な行事です。

 

初日の出と言って、寒い中、山を登って日の出を見に行くのも、初詣と言って、普段行くこともない神社に参拝するのも、全ては1月1日をリバースデイたらしめるためなのです。

 

僕らはリバースデイに合わせて様々生まれ変わろうとするわけです。

今年こそはダイエット成功させるぞ、日記を毎日つけるぞ、仕事で成果を出すぞ、彼氏を作るぞ、そう意気込んで生まれ変わろうとします。

 

もちろん、思うだけでなく行動に移しもします。

毎朝近所の公園をランニングをするという新しい習慣を始めたり、買っておいた真新しいほぼ日手帳にあえての万年筆で日々の所感を書き入れ始めたり、あるいは、僕のように、はてなブログを始めたり。

 

僕ら人類は、そうやって1年に一度リバースデイを設定することで、それ以前の悪夢を引きずらず、清々しい気持ちで生まれ変わることに成功しています。

 

 

そこで、僕はふと考えました。

 

オリジナルのリバースデイをたくさん作れば、生まれ変わりまくりなのではないか?と。

 

例えば、毎月1日は元旦と同じように扱うことにしてはどうでしょう。

そして、毎月末に大掃除をおこない、毎月初に初詣をするのは?

 

大切なことは元旦が増えたからといって手を抜かないことです。

どうせ毎月迎えるんだから、十二分の一の労力の大掃除、十二分の一の願いを込めた初詣で良いではないかと言う人もいるでしょう。

 

言語道断です。

 

それでは、リバースデイの特別性が薄まってしまうではないですか。

「週末でリフレッシュ」と同じ軽薄さではいけません。

 

バカップルの『付き合って◯ヶ月記念』も、

「記念日だね♡」

「そうだね♡愛してるよ♡これからもよろしくね♡」

では、薄すぎるのです。

イオンのお客様感謝デーですか。

 

世の中のバカップルはどうせやるのであれば、毎月、年末大セール並みに記念日を祝うべきなのです。

 

初めて出会った場所、初めてデートをした場所、初めてキスをした場所を順々に巡り、最後は、初めて性行為をおこなった場所で、ハッピーリバースデイの歌を歌いながらまぐわう。

 

これこそが、オリジナルのリバースデイを設定するということだと僕は思います。

 

例として挙げた話が本筋をオーバーラップし、収拾がつかない気がしてならないので、この辺で筆を置かせていただこうと思いますが、僕がこの記事で言いたかったことはたった一つ。

 

僕らが願えばどんな日だってリバースデイさ。